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〈関東大震災−朝鮮人虐殺から80年〉 アボジの同郷4人が殺される

 私は1942年生まれの在日2世である。日本の同化教育を受けたため、22歳まで自分の祖国である朝鮮半島の歴史、在日の歴史など何ひとつ正確に事実を認識することができなかった。ただひたすら出身を隠し、日本人のように振舞うような生活がなぜ続いたのかと考えると、関東大震災時の朝鮮人虐殺が大きな要因ではなかったのかと思う。

 アボジは私が幼い頃、病で亡くなった。そのため、関東大震災で九死に一生を得たアボジの体験を直接、聞くことはできなかった。ただ、オモニから聞いた話は今に至っても1度も忘れたことはない。いや、忘れることはできない。

 慶尚北道出身のアボジは、14〜15歳の時、両親と死別し、その後、日本の植民地支配による土地調査事業により畑を奪われ、1文なしになった。5人兄弟の長男だった。

 アボジと同じ村出身のオモニも教育を受けていないため、正確な歴史認識を持つことはできなかったと思う。

 こうした情況からアボジとオモニは、生きるために震災の前年、日本に渡ってきた。同郷の仲間5人とともにだ。が、震災により、アボジは運良く助かったものの、ほかの4人はみな殺されたという。

 オモニの話によると、「朝鮮人が井戸に毒を入れたから殺せ」、と日本人はみな騒いでいたという。

 アボジは当時、通名(松下)を使って土方をしていた。震災時は、親方が「お前は真面目で、特別な鮮人だ」と言い、親方の家の床下に1カ月間隠れて生活を送ったという。

 その後も1年間は、「おし」で通したそうだ。

 そしてアボジは、朝鮮人ではなく日本人≠ノなりきる生活を死ぬまで送ったと思う。私にあるアボジの記憶は、和服℃pしかない。そのような家庭環境だったのでオモニの日本語は、いま振り返ると、朝鮮なまりなどほとんどなかった。本人が言わぬ限り、日本人でも通用したと思う。

 私はよく日本語がうまいと言われ自慢していたが、民族に目覚め、今なお続く民族蔑視差別に反対してたたかおうとした時、オモニや私の兄弟からは普通ならぬ反発をかった。

 そして、アボジの無念さを理解して生きているのは私と子どもたちだけだ。

 アボジの納棺時の和服姿を思い出すたびに、ふがいなさを激しく責めたものだ。が、いま老境の入口に来て、それは朝鮮人が日本で生き抜くための「智恵」だったのかとも思う。

 昨今の日本の動向を見るたびに、教育の深刻さを感じるとともに、日本帝国時代の残存勢力が代を継いで息を吹き返している情況は、貴紙の分析どおり同感だ。

 日本の敗戦後、日本が58年間にわたって歴史を隠ぺいしてきた成果が表れつつあるかのように思える。

 しかし、心ある日本人も数多く、私の周りにもいる。彼らを信じ、これからも努力していきたい。(黄富男、東京都足立区在住、61)

[朝鮮新報 2003.8.2]