日朝交流の現場から−地域で支え合うことの大事さ |
1991年2月11日、堺朝鮮初級学校で第1回目の公開授業が行われました。朝鮮学校が日本人と共同で公開授業をしたのは、日本ではじめてのことだと思います。100人弱の児童数の小さな学校に200人以上の人が集まりました(今は児童数は30人以下になっています)。 2月11日は「建国記念日」で、日本では祝日。朝鮮学校は通常授業であるのと、「天皇制」を考える分科会も行おうと、この日に設定されました。以後毎年1回実施し、今年で13回目をむかえています(実施日は第7回目から変わりました)。 その後、「JR定期券差別撤廃の運動」「学校の財政支援の緊急活動」「堺朝鮮初級学校のバザーの協力」「堺朝鮮初級学校50周年記念事業(給食棟、多目的ホールの建設)の支援」の活動などを、その時々の個人の意思で行ってきました。また、地域では「堺における朝鮮人の強制連行、強制労働の実態を明らかにする調査活動」や「戦後50年を考える堺市民の集い(堺朝鮮初級学校で開催)」を学校関係者と共に行ってきました。 このような活動はその時々に単発的に提起されてきましたし、参加する人もまちまちでした。そこで、「より恒常的な活動をし、より支援の輪を広げよう!」−そんな気持ちをもった人たちが「堺ハクキョの会」を1999年秋に発足させました。 まず身近なものとして、週1回の給食支援に取り組むことにしました。子どもたちやオモニ、アボジに喜んでもらえること、50周年記念事業で建設された給食棟が活用できることから考えました。1口(1年間)1万2000円(めやすとして)のカンパを募り、調理さんの人件費と食費補助金を捻出するかたちで、給食を2000年1月から始めました。のべで100人を超す方々の協力をいただいて、何とか今でも続いています。 学校のこと、堺ハクキョの会の運動のこと、週1回の給食の様子のことなどを知ってもらわなければカンパは募れません。そのために、「堺ハクキョの会通信」を1年に3回発行し、今で9号になっています。給食のメニューはハンバーグ、シチュー、焼肉、ピビンパなど多彩で、キムチとデザートは毎回付きます。給食の時の子どもたちはうれしそうで、偏食がなくなった子もいるそうです。 もちろん、いろんな悩みや問題もありました。しかしその都度、学校関係者やオモニたちと一緒に話し、考えてきました。その中で、地域で支えあっていくことの大事さも理解しあえてきたと思っています。 まだまだささやかな活動ですが、こうしたことを積み上げることが民族教育の理解、発展につながると信じています。朝鮮学校の子どもたちが、日本の学校の子どもたちと同じような環境、条件で民族教育を受けることができる、そんなあたりまえのことがまだできていません。それができた時、「すべての人が共に生きる町、暮らしてよかったと思える町」になってくるのではないか、そんな思いを持っています。(終わり)(小仲久雄、堺ハクキョの会代表) [朝鮮新報 2003.7.22] |