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これからが正念場、団結を

 「すべての外国人学校卒業者に受験資格があると判断し、受験資格が認められるよう文部科学省に要望していく」とした京都大学の発表(9日)は、「非常に意味を持つ大きな前進」(同大の水野直樹教授)であった。関係者らの働きかけにようやく大学側が動き始めたことを意味する。しかし発表は、あくまでも「文科省に要望していく」という大学側の姿勢にすぎず、「入学資格を認める」というものではない。

 同日行われた衆院文科委員会での答弁や「弁護士有志の会」が提出した現行の大学入学資格規定に関する質問書に対する回答でも、同省は一貫して「検討中」の立場を繰り返すばかりだ。遠山敦子文科大臣も9日の文部科学委で「来年4月の受験生にとって不都合がないように時期を考えながら検討していく」と世論を意識した発言はしているものの、何ら具体的な対応策を示したわけではない。

 そもそもは朝鮮学校をはじめとする外国人学校が「(日本の学校に比べ)学力が劣るとは到底思えない」(7日、神戸初中を視察した池坊保子文科大臣政務官)にもかかわらず、「各種学校」の枠に押し込められていることがすべての民族教育差別の根底にある。文科省は国際条約に照らし合わせてみても、自らの民族や文化を学ぶ基本的権利に基づいた評価を行い、学校としてのしかるべき地位を付与するべきだ。また、京大の判断を受けた他の国立大学の対応が、入学を希望する子どもたちの夢と希望を奪うものになっては絶対にいけない。

 これからが正念場となる大学受験資格問題。今後は、第2、第3の京大が出てくるよう各国立大学に働きかけ、既成事実を積み重ねることによって文科省の判断を迫っていくことが必要だ。同時に、外国人学校同士がいっそう団結し、同胞をはじめとするすべての関係者が運動を引き続き盛り上げていくことが求められている。(花)

[朝鮮新報 2003.7.15]