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日朝交流の現場から−頭だけの理解ではなく

 「どうして朝鮮問題に取り組むのか?」

 1974年に職場の同僚に勧められて参加した川崎朝鮮問題研究会の発足時から数えれば、30年目になるが、こんな質問をこれまでに何度受けただろうか。いつも、故郷に渡来人系の遺跡があった、大学の卒業論文で魏志倭人伝を取り上げた、高校で日本史を教えた、とかで応じてきた。

 しかし、1982年の侵略記述から起きた教科書問題の最中に、知人の朝鮮学校長に依頼された講話の後で、オモニたちから同じ質問が出てきた時には、これだけでは済まないものを感じたのだった。頭だけの理解では不十分だとしたら、何をすれば良いのか。

 この時期に神奈川県内の朝鮮問題研究団体の連合組織に参加する。県の渉外部の行った在日外国人の生活実態調査に加わって、日本人への思いのあれこれを直に聞いたことが、在日朝鮮人の生活現実への理解不足と歴史認識の歪みを痛感する機会になった。

 1976年に発足した日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会の事務局員となり、年1回の全国集会(昨年が26回目)で仲間と実践交流する、朝鮮訪問の機会に恵まれる、高教祖教研小委員会の日本人学校に通う在日朝鮮人生徒の課題に取り組むグループとのつながりができるなど、学ぶ場所は広がった。

 今から見れば不十分ながら、高校教員の教科研究会での訪朝報告や訪朝記の執筆、日本の大学に進学した朝鮮高校卒業生の教育実習の仲介、解放後の朝鮮教育史や在日朝鮮人戦後教育史のまとめ作業、地域の朝鮮学校の聞き書きなど、さまざまな活動をしてきた。

 1992年末に結成した教職員の幅広い交流を目指す日朝学術教育協会でも事務局の一員として、訪朝活動や日朝教育シンポジウム(昨年で4回目)に関わった。また同時期に始まった在日朝鮮人と日本人の文化面での交流の場を作りたいという「高麗博物館」(2001年末に新宿区に開設)つくりにも参加した。1998年に再建された「かながわ朝鮮問題研究ネットワーク」に加わり、県や横浜・川崎市に朝鮮学校への助成金増額の要求を行ったり、この4月には総理府の人権担当の参事官に面会して朝鮮学校卒業生の受験資格問題の解決を求めるなど、地域の朝鮮問題に取り組んでいる。

 朝鮮学校の民族教育権への差別的扱いは、教育基本法の「改悪」論が求める日本人の愛国心の強調と表裏の関係にある。これは国際社会における多文化共生の趨勢に逆らい、日朝の児童、生徒の未来をも奪うものではないか。

 朝鮮問題の解決は日本の共生社会を築く第1関門である。在日朝鮮人の処遇問題は、歴史的な「日朝平壌宣言」で協議事項とされたにもかかわらず、宣言後の日本政府は拉致事件などを口実に常軌を逸脱した対応で中断させている。改めて、日本政府に宣言の示す精神と基本原則に従っての国交正常化の早期実現への努力を強く求めたい。(大石忠雄、川崎朝鮮問題研究会)

[朝鮮新報 2003.6.24]