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在日同胞と祖国を結ぶ「万景峰92」号−たたかい獲得した自由往来

祖国への自由往来を求めて行われた大阪−東京大行進(1964.3〜1964.4)

 親族との再会、墓参り、修学旅行、商業、観光などのために祖国を訪れる同胞たちのかけがえのない足となってきた元山と新潟を結ぶ貨客船「万景峰92」号。一部、日本の市民たちも利用している。在日同胞の祖国への自由往来が実現したのは、1965年12月。それまで、再入国を禁止してきた日本政府に対し、在日同胞たちが当然の権利だとしてたたかい取ったものだ。

 59年8月、朝鮮赤十字会と日本赤十字社が帰国協定に調印、同年12月、第1次帰国船(新潟−清津)が出港した。以来、これまでに約10万人が帰国した。しかし、当時、在日同胞は帰国した肉親や親せきとの再会の機会を奪われていた。つまり、往来の自由は日本政府の差別政策により認められていなかった。

 そのため、在日同胞らは祖国への自由往来の実現を求め64年2月、在日朝鮮人祖国往来実現要請中央大会を開き、同年3月からは1カ月にわたって各階層の同胞らによる祖国往来要請団を構成して、大阪−東京間の大行進を繰り広げ、その実現を広く世論にアピールした。

 こうした同胞らの要請に対し、65年12月末までに都議会をはじめ日本人口の85%を網羅する1065の地方自治体が支持決議を採択した。

 在日同胞らの強い要望、それに対する日本市民の支持を無視することができず日本政府は65年12月、ついに2人の同胞の祖国訪問=祖国を訪れ日本に再入国することを初めて認めた。

 ここに、在日同胞たちの宿願だった祖国への自由往来が実現した。たたかいを通じて勝ち取ったのである。

 71年8月、それまでの帰国船(ソ連船)に代わって「万景峰」号が就航した。

 79年8月12日からは「短期祖国訪問団」という新しい形での往来の道も開かれ、第2次訪問団は同月30日に就航した「三池淵」号に乗って祖国へ向かった。

 92年6月からは「三池淵」号に代わって「万景峰92」号が就航。短期祖国訪問団はこれまで275回実施された。

 71年当時は50時間、「三池淵」号は36時間の航海を要したが、現在、「万景峰92」号は新潟−元山間を約28時間で結んでいる。(羅基哲記者)

[朝鮮新報 2003.6.14]