〈6.15北南共同宣言と在日同胞社会−1〉 故郷訪問 |
6.15北南共同宣言が発表されてから3年。この間、共同宣言履行のために、北南間では和解と交流、協力事業が進んだ。それに伴い、在日同胞社会を取り巻く環境も変わった。共同宣言から3年、同胞社会を振り返ってみた。 60年ぶりの再会
総聯同胞故郷訪問団事業。6.15共同宣言によってもたらされた最も大きな変化である。現在、今年5月までに11回実施されたが、離れ離れの親族が半世紀以上ぶりに再会し、そのきずなを深め合った。 昨年11月の第10次訪問団メンバーとして、故郷の慶尚北道などを訪れた林秀夫さん(89、愛知県南区居住)は、同行した息子の重彦さん(47、県商工会副理事長)とともに、2人の妹と息子、娘と再会した。 「死ぬまで故郷に行くことはできないと思っていた」林さんだけに、60年ぶりの家族との再会は、まさに「夢のようだった」。「自分を受け入れてくれるだろうか」という故郷の地を踏むまでの不安≠ヘ、一瞬にして安心≠ヨと変わった。故郷では、半世紀以上にわたる空白を埋めようと思い思いに行動し、家族らと時間を惜しんで語り合った。 5月末、記者が林さん宅を訪ねると、「昨日は妹から、『オッパ(兄さん)、最近の体の調子はどうですか』と電話がかかってきた。2人目のひ孫がすくすくと育っていることも聞けた」と言う。 再会前までは、息子の重彦さんが30数年前から手紙で、10年前からは直接、電話で消息を伝え合ってきた。今では、手を取り合い再会の喜びをかみしめ合っただけに、「電話でも目の前に妹の顔が浮かぶかのように、親しみをよりいっそう感じる」と、再会後も兄妹のきずなを引き続き深めている様子を語ってくれた。 統一の早期実現痛感 在日同胞1世のほとんどは、南出身だ。解放(45年)後、国の統一、そして権利の獲得のために北側の政権を支持し、総聯に集い活動してきた同胞たちは、南の歴代軍事政権の反共、反北政策によって故郷を訪れることができなかった。が、共同宣言を履行するための第1回北南閣僚級会談(2000年7月)で、総聯同胞が訪問団を構成し故郷を訪れることが合意されて以来、11回にわたって延べ800余人がその地を踏んだ。林さんもその1人だ。 総聯の分会長を長年、務め、今も顧問として総聯活動を見守っている林さんの純粋で一途な思いに息子の重彦さんは、「祖国の自主的平和統一と民族の繁栄、幸せを一日も早く必ず実現させなければならないと痛感する」という。 総聯の事業も理解
故郷訪問団事業を通じて家族との再会を果たした林さんだが、当初、南で暮らす妹たちは林さんが来ることに否定的だった。周囲の目を気にしていたようだ。が、再会は実現した。「血は水よりも濃い」、家族のきずなが強かったのだ。 また家族らは、民族教育を通じて日本にいる林さんの子どもたちが民族の言葉と文字を学び、孫たちも学んでいることなど、総聯にも理解を示していたという。 家族がひとつになる必要性について息子の重彦さんは、「離れて暮らしていること自体、不自然だ。ひとつになり、きずなを深めるのは当然のこと。これは理屈ではない。一族の繁栄は、民族の繁栄にもつながる」と強調する。 故郷訪問後、日常生活に笑顔が増えたという林さんは、「6.15共同宣言は生活力を持っている。私が故郷を訪れることができたこと、また閣僚級会談や人の往来などが継続的に行われていることを見れば一目瞭然だ。長生きし、国の統一を見て、故郷でまた家族と会いたい」と語っていた。(羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.5.31] |