top_rogo.gif (16396 bytes)

〈心の目〉−6.26判決、問われていること

 3月18日。国民年金制度発足の際、日本政府が作った国籍条項によって無年金状態に置かれた同胞聴覚障害者が京都地方裁判所に提訴して3年、その裁判の結審を迎えた。

 朝10時、約80席ある傍聴席はほぼ埋まっていた。私は陳述する原告の金洙榮さんを見たいと思い、固唾を飲んで一言も聞き漏らすまいと緊張していた。ゆっくりと手を動かし、陳述を始めた金さんの背中には威厳が漂う。そして陳述を終えようとした時、金さんは初めて声を発せられた。

 「裁判長、これからは通訳をつけないで、自らの声で話すので聞いて下さい」。結審を迎え、ありったけの思いを裁判長に直接伝えたい、精一杯訴えたい、そんな強い思いからだった。

 話し終えた金さんは後ろを向き、原告団に合図を送った。皆が一斉に起立して裁判長に一礼した。「差別をなくし、問題解決に結びつく判決をお願いします」。

 これまで、たくさんの在日無年金ろうあ者が金さんに相談を持ちかけてきた。また、金さん自身も、原告の一人になるはずだった亡き金光孝さんや先輩の辛い状態を見続けてきた。

 金さんは私たちに訴え続けてきた。原告の証言だけでは在日無年金障害者の実態や現状を明らかにできない、先輩や女性の在日ろうあ者が自分たち以上にどれほど苦しんできたのかを伝えるべきだ、現実に耐え切れずに自殺した人、病を患った人、結婚差別を受け離婚して一人暮らし、身寄りもなく施設にいる人、どれだけたくさんの仲間が泣き寝入りしているのか、しかもこの苦しみを周囲の誰にも分かってもらえず、精神的に追い詰められ、ただただ耐えるだけの生活。このことを明らかにしないまま、裁判を終えることはできない、と。

 金さんたちが「在日同胞聴覚障害者協会」を設立したのは、このように一人で悩んでいる人があまりにも多かったからだ。仲間を作れば共に解決できる「強さ」ができると思ったのだ。

 当初、まったく手話ができなかった私は、原告団とコミュニケーションが取れず、関係がもてなかった。不信感をあらわにされたときもあった。しかし、ともに裁判闘争をたたかう中で、距離を置いていた原告の皆さんとも徐々に親しくなり、今は私にとって家族のような存在だ。一方、支える会としては、まだまだ自分の不甲斐なさを思い知らされ、原告の立場を本当の意味で理解できていないことを痛感している。

 原告の立場とは? 所得保障のない、つまり人間としての尊厳を保つのにギリギリの立場に置かれている同胞障害者。民族と障害という「二重の差別」を強いられながらも、解決の難しい問題に社会的に一番弱い人たちが公に日本政府にけんかを売っている。私はこのことの意味をよく考えていなかった。

 今後、支える会として何ができるのか。自分の生活すべてをさらけ出し、原告とともにできることは何か。6月26日の判決を迎えるにあたって、その姿勢が厳しく問われていると感じている。

 裁判支援をする中で出会った無年金の当事者、彼らを支える人と連帯できたことを誇りに思う。このように人と人が出会い、つながっていくことが何よりも運動の糧であり、意義だと強く思う。

 支える会は判決を迎える4日前の6月22日、集会を持つ。また、この5月から問題だらけの日本政府の調査に対抗して同胞無年金障害者を対象にした実態調査を始める予定だ。ぜひとも協力を願いたい。(鄭明愛、在日外国人障害者の年金訴訟を支える会)

[朝鮮新報 2003.5.21]