在日本朝鮮留学生同盟−OB、OGに聞く資格取得、私の場合 |
資格社会の日本。実学を身につけようと各種資格取得を目指す若者が急増している。資格を生かし、夢の実現に向けて新たなスタートを踏み出した留学同OB、OGたちの「今」を紹介する。 朝鮮人として堂々と(許聖花、看護師) 東京朝高を卒業後、看護師を目指して戸田中央看護専門学校(埼玉県戸田市)に入学した許聖花さん(22)。現在は新狭山市にある狭山神経内科病院で正看護師として忙しい日々を送っている。 昔から人と触れ合うことが人一倍好きで、美容師や朝鮮学校の教員などいろいろなことにチャレンジしたかったという。 最終的に「同胞のための看護師になりたい」と決意し、高級部2年生の時に都立上野高校に入学、同年大検を受け11科目中10科目に合格した。翌年の試験で残り1科目に合格したが、「もしこれで落ちたらあと1年どうしよう」という不安は隠せなかった。この間クラブ活動とダブルスクール、大検受験という負担は「精神的に重荷だった」。 朝高在学中、チョゴリを着ての通学時にこころない人から罵声を浴びせられたり、電車内で切られるという事件が起きた。 日本学校と同等、もしくはそれ以上の水準の教育を朝鮮学校で受けていても、「高校」として認められることのない現実。「必ず資格を取って、日本社会でひとりの朝鮮人として認められたい」と思うようになった。 面接時、現在の病院総婦長から、「あなたの履歴書を見て、本名を名乗っているのでとても驚いた」と告げられた。そして、「自分の民族に誇りを持って生きることはすばらしいこと」という言葉に胸が熱くなった。 許さんが勤める病院はパーキンソン病など不治の難病を抱えた患者さんの最期を看取る場合が多く、ほとんどが呼吸器を取り付けているため、コミュニケーションも文字板で行うなど特殊な看護が必要とされる。体力仕事でもある。 新入りの許さんに心を開いてくれない患者もいる。ある時、やっと許さんを認めてくれて、「体を拭かせてくれるようになった時などは、本当にうれしかった」と語る。 当初は、「同胞が経営する病院で働き、同胞と触れ合いたい」と思っていた許さんだが、今は現在の病院でより知識を高めてからでも遅くはない、と考えている。 「日本人ばかりの環境のなかで、朝鮮人として堂々と生きていくのも悪くない」 専門武器持ち、頼れる人材に(安徳守、社会保険労務士) 同志社大商学部を卒業後、留学同の専従活動家として地元・愛知へ。昨年11月に社会保険労務士の試験に合格した安徳守さん(31)。同労務士として認定を受けるためには、2年間の実務経験が必要とされるため、9年間の専従活動を経て、今年4月から同県商工会で副部長として実務に携わっている。 安さんが資格取得を目指したのは、3年前。留学同活動を通して無年金状態の同胞障害者や高齢者の実情を知った。まず自分自身が社会保険制度についてよく知り、同胞たちの役に立ちたいと、独学で勉強を始めた。「専従活動の合間をぬって勉強するには独学しかなかった」と、安さん。 県内の同胞を対象にした高齢者介護、障害者支援、生活・法律相談、国際文化交流などの各事業を行うことを目的とし、6月に認証予定の特定非営利活動(NPO)法人「コリアンネットあいち」に7月オープンする「生活法律相談センター」では、相談員も務める予定だ。 「専門的な武器を持って同胞社会に役立てたかった。同胞とのつながりを密にしながら、頼れる人材になっていきたい」 北南朝鮮、世界をまたに(李志翔、税理士) 昨年12月、難関と言われる税理士試験に最年少レベルで合格した李志翔さん(21)。専門学校を卒業し、今年4月から都内の税理士事務所に勤務している。 広島朝高3年生の時、「将来に役立つ実学を身に付けたい」と簿記を始めた李さん。夜間に専門学校にも通い、1年足らずで全経簿記上級の検定に合格。税理士の受験資格を得て、広島会計学院(広島市)の税理士コース(3年)に特待生として入学した。年1回行われる税理士試験は、簿記論や税法など5科目あり、実務に携わりながら5年以上かかって合格する人が大半という。 実務に携わってまだ1カ月余り。税理士業務に付随して財務書類の作成や会計帳簿の記帳の代行、その他財務に関する事務などを行い、夜遅くまで仕事に追われる日々だが「楽しくてしょうがない」と目を輝かせる。 初めての東京での1人暮らしだが、「不安はまったくない」。実務を通して南の同胞と触れ合うなど刺激も受けている。「グローバリゼーションという言葉を身を持って感じている日々だ。自分がこれから北南朝鮮、日本、世界をまたにかけてどんな活躍ができるか、今から楽しみ」。李さんの夢はこれからも広がっていく。 [朝鮮新報 2003.5.19] |