オモニのシッタンライフ |
いつまでも忘れられない幼い頃の鮮烈な思い出がある。その日、オモニは5歳の私を台所の片隅に呼び出し、膝をおってしゃがみ込むと、私に目線を合わせてこう切り出した。「あのね、オンマ新しいお仕事を始めようと思うの。朝大の食堂で働こうと思っているの」 チョウデ?シッタン?幼い私はそれが意味するものが何であるか理解しなかった。ただオモニが何か重大なことを始めようとしていることはちゃんと理解できた。そしてそれを幼い私にもしっかり伝えようとしたのだろう。あの日のオモニの真剣な眼差しと表情を私はいまでもはっきりとおぼえている。(頑張らなきゃ)幼な心に私はそう思った。保育園にちゃんと行こう、オンマを困らせないようにいい子にしよう。5歳。4人姉妹の末っ子の私が、少しだけ、お姉ちゃんになった瞬間だった。 あれから27年。本当に頑張ったのはオモニの方。全寮制の朝大での食事作りだ。勤務時間は普通の会社員の比にならぬほど、長い。加えて、週2回の遅番(夕食の後片付けまで)と、月1回ペースの朝番(出勤は早朝4時ごろ!)を、私たち4人の子育てに追われながらこなし続けてきた。27年前、5歳だった私も今では30代に突入、結婚して授かった愛娘が、あの日の私と同じ、5歳となった。オモニの27年間の「シッタンライフ」は、そのまま私の成長の記録にリンクする。 シッタンで働いているイコール、お料理上手と思い込んでいた小学生の頃。オモニは私の自慢であったし、誇りであった。ところが中高生になると一変。人並みの反抗期と思春期がオモニの仕事を明るく容認することにブレーキをかけた時期もあった。 だが、私自身が朝大に入学し、食堂当番をするようになってからは、オモニの仕事の苛酷さ、大変さを身にしみて思い知らされるようになる。小さな体で大きな鍋をヒョイと運び出したりなんかは、朝飯前。熱く煮えたぎるスープでやけどを負うことも日常茶飯事。これでボートこぐの?と、いうぐらい大きなしゃもじで炊き上がったご飯をかきまぜる。その時の全身運動はスポーツ選手の筋トレ並み。まさに肉体労働そのものである。朝・昼・晩とおとろえる事を知らない朝大生の旺盛な食欲を満たすため、襲いかかって来るような朝大生の胃袋に果敢に攻め込むように、オモニは働いて、働いて、働き続けた。 1日の仕事を終え、「疲れたー」と言うことはあっても、「やめたい、もうイヤだ」と、後ろ向きな愚痴を聞いたことはなかった。泥のように倒れ込み眠りにつく毎日だったが、次の日にはパワフルに起き出し、朝から家事を一通り済ませて、自転車ダッシュでシッタンへと向かった。 春爛漫。生命たちが芽吹くきらめきの季節。この春、わが家に2人目の子どもが新しく仲間入りした。時を同じくして、オモニも定年退職を迎えた。でも、ゴールはまだまだ。新しい赤ちゃんとともに、新しい人生のスタートに立った気分なんだろう。退職後、1ヵ月足らずしか経っていないのに、さっそく旅行にも行ってきたと言うし、赤ちゃんを見に、もう3度も家に訪ねてきている。 夫婦円満、体も健康。人生のしがらみも悩みも、笑って乗り越える強さと明るさを持つオモニ。私はこれからのオモニのパワフルライフに興味津々。次は何をはじめるか、期待大で見守るばかりである。(全佳姫、主婦) [朝鮮新報 2003.5.19] |