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各地の同胞が語る「私とサークル」−チャンゴサークル(兵庫)

 7年前に結成された兵庫・加印チャンゴサークルの講師を任されたのは、兵庫朝鮮歌舞団の団員を務めていた7年前のことだった。2年前に歌舞団を退団してからも、12年間の現役生活で培った朝鮮舞踊とチャンゴの技術をオモニたちとともにあますところなく発揮している毎日だ。

指導に工夫

 今日もチャンゴの鳴り響く教室に1人、2人となじみの顔が集う。彼女たちは私が20代であったバリバリの現役歌舞団時代から、結婚、出産など人生の転換期をサークルを通してともに過ごしてきた20〜50代までのオモニたち。私にとっては同じオモニとして、人生の大先輩であり、時には悩み事を打ち明けられる良きオンニ(お姉さん)でもある。また、好きな俳優の話題ではしゃぎ合える、チング(親友)のような存在だ。

 講師を受け持った当初、一番頭を悩ませたのが、彼女たちがどうすればチャンゴと長く付き合っていけるかということだった。「参加者たちが心からチャンダンを愛し、朝鮮の民族打楽器の旋律と楽しくつきあっていけるようなものにしていきたい」−このような思いから、いかに楽しみながら技術も高められるかということを基本に、指導に工夫を凝らしていった。

 ともすれば単調になりがちな指導をいかに新鮮なものにしていくかが大変だ。ただチャンダンを教えるだけではなく、そのチャンダンに込められた由来を紹介したり、練習成果を実感させるため、地元の朝鮮学校で行われる行事で発表したり…。さまざまなアクションを投げかけることで、参加者たちがいつも新鮮な気持ちでチャンゴに向かえるように腐心した。

今秋にコンサート

 多くのオモニたちに支えられてきた本サークル。現在は15人が通っており、1999年に行われた芸術競演大会近畿地方大会では、1位に輝いた。

 今秋には、初の単独コンサートを開催する。ほかの朝鮮打楽器にもチャレンジし、民謡に合わせてチャンダンを叩く予定だ。観る人が温かい気持ちになるような舞台にしたいと思っている。なんと、4歳になる私の長男も出場予定。お腹の中にいる頃からチャンダンを聴いて育ち、時には十数人のチャンゴの音色を子守唄にしながら眠っていた彼がこの舞台を機に、これから生きて行くうえで自民族の楽器を誇りに思い、大事にしていってほしいと願っている。

 「生き生きとチャンゴを叩くオモニたちのように、いつまでも目標を持って輝いていたい」という思いで日々努力を続ける毎日。今まで支えてくれた家族をはじめたくさんの人に感謝し、彼らの期待にこたえるためにも、「人生前進あるのみ」。

 これからも民族芸術を通して、私自身も含めたより多くの同胞にもうひと花咲かせてあげたい。そして何年か後に仲間で集まった時、「あの時はがんばったね」と笑い合えるよう、これからも胸を張って生きていきたい。(金仙玉、朝鮮舞踊・チャンゴ講師)

[朝鮮新報 2003.5.16]