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〈心の目〉−元気なハルモニらは地域の花

 大阪府下には、在日同胞団体の建物を利用した街角デイハウスが数カ所あるが、私が勤める八尾柏原地域でも、地域の同胞高齢者が気軽に集い、触れ合えるデイハウス「八尾サランの家」を一昨年7月にオープンした。これを契機にホームヘルパー2級を取得。総聯支部の活動をするかたわら、カウンセラーとして働いている。

 デイハウスには毎日7〜10人の同胞高齢者が集い、楽しく過ごしている。

 カラオケ大会、朝鮮舞踊に西洋ダンス、お絵かき、習字、折り紙に井戸端会議、なんと言ってもハルモニたちの身世打鈴は尽きることがない。私たちがサービスをしているというよりも、反対にハルモニたちの笑顔、話に励まされ、力と勇気をもらっている。

 日本の施設にも行けず、1人孤独な生活をしていたハルモニたちが、よく話し、よく笑うようになり、作る面倒から不定期だった食事を朝、昼、夜ときっちり食べるようになった。気にもしなかった身だしなみも整えるようになり、何年来しなかった化粧もする。日に日に顔の皺が減り、歌えないと思っていたカラオケも得意げに楽しむようになったハルモニたちの姿を見るたび、介護事業に携わる喜びを感じている。

 ホームヘルパーの研修では、たくさんのことを学んだ。とくに、日本でさまざまな青少年問題が出ている中、特別養護施設で献身的に働く日本の青年の姿に今の若者も捨てたものではない、と感動したものだ。

 私は当然のことながら本名で研修に参加し、名札にも大きくカタカナで書きこんでいた。

 施設には重い痴呆症を患う1人の同胞高齢者がいた。ショックだったのは、日本人職員が「あの人はあっちの人」と紹介することだった。その老人に対し母国語で話しかけ、少しばかりの心のケアが出来たと喜んでいた私に、「オさんもあっちの人?」と聞いてきたことにもびっくりした。

 そうだ、この青年は、受験勉強のため、時間的な余裕のなさから、近代の日本の歴史、とくに朝鮮半島と日本の関係を学べなかったのだ。なぜ、日本にこれほどたくさんの朝鮮人がいるのか、なぜ、名前がふたつあるのかという基本的な問題がわかっていないことに気づいた。ゆくゆくは同胞高齢者も日本の施設で心置きなく過ごせれば、と考えていただけに、日本の若者に同胞1世が背負った歴史を正しく知ってほしいと切に思った。

 サランの家では日本市民との心温まる交流も始まっている。

 先日、近所の日本の方からはチューリップの球根を頂いた。彼女たちと植え、日に日に育つのを心待ちにしていたが、ある日15デンチほどまで延びたプランターが3つなくなっていた。雨が降り、寒い日だったので、誰かがどこかに入れてくれていたのだろうか。場所が朝鮮会館なので、昨今の朝鮮報道による嫌がらせなのだろうか。その1日は悶々としていたが、今はどこかで綺麗に、立派に花を咲かせていることだろう。

 同胞社会の基盤を築いてくれた同胞高齢者たちが余生を有意義に、豊かに過ごすことができるよう、介護の現場から朝・日の歴史を見つめたい。介護保険制度3年目を迎えた今、改めてそのことを感じている。(呉信浩、「八尾サランの家」カウンセラー)

[朝鮮新報 2003.4.22]