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「家族のようなトンネ」目指し−大阪生野東青商会

 大阪・生野東青商会が元気だ。昨年10月の総会で一新されたメンバーは、地域の同胞を「大きな家族」のようにつなげたいと話す。3月30日に行われた支部、女性同盟、朝青、青商会合同の野遊会には昨年の1.5倍になる300人が参加。30代の同胞が多かったのは青商会メンバーが彼らを訪ね歩いたからだった。

 生野東青商会が産声を上げたのは1998年6月。当初は活発に動いていたものの、引き継ぎがうまくいかず、この1、2年、活動が停滞していた。しかし、折あるごとに、分会委員を務める高元吉さん(39)、成昌浩さん(34)らが「活性化したい」と話し合ってきた。

 30代前半から40代の青商会世代といえば、区内にある生野朝鮮初級学校や大阪朝鮮第4初級学校の保護者が多い。学校では顔を合わせるものの、支部や青商会など地域での活動につながらないことに矛盾やもどかしさを感じてきたという。

 生野は同胞密集地だが、ここ生野東地域にも7300人の同胞が住む。自転車で10分もあれば行き来できるトンネだ。

 大阪生まれで大阪育ちの青商会メンバーたちは朝青の活動に積極的だったことから、地域に懐かしい顔も多い。「どうしているのだろう」と名簿を調べ、訪問しては、気持ちをぶつけた。そして昨年10月、同じ志を持つ9人の有志が集まり、第2回総会が持たれた。

 「30代の同胞がいつのまにか地域でポジションを失っていた。力を出せる土俵を与えられたという感じ。気持ちのうえでくすぶっていたものがあった」と語るのは副会長、幹事長を務める金衛さん(39)だ。

 再スタートを切った同青商会が最初に取り組んだのは、10数年間恒例になっている地域の成人式(今年1月12日)、餅つき大会(19日)だった。

 青商会が成人式を単独で主催するのは初めてのこと。成人を迎えた青年の中には地域との関わりが少ない青年もいる。そんな後輩に自分、そして、育ちゆく子どもの未来を重ねながら準備を進めた。青年たちの生い立ちをつづったスライド、両親への手紙、ゲームなど、手作りのイベントを完成させる過程で「家族のような地域」というビジョンを具体化していった。

 生野初級の保護者でもある常任幹事の秦暢浩さん(35)は、アボジ会の理事などを務め、学校を支える活動に積極的だ。しかし、いつも疑問に思うのは「役員を務めるのは同じ人」。また、子どもは毎日同じ教室で過ごすのに、親同士の連携がないのも疑問だった。

 昨年11月、大阪で開かれた青商会フォーラムは大阪青商会を地域社会にアピールするきっかけになったが、そのテーマは「ミレ(未来)・スマイル、ミレ・サポート」。子どもたちを応援するネットワーク作りだ。

  例えば最近、生野初級で遊具が壊れた。専門の業者が同胞の中にいたので、すぐに対応できた。些細なことだがネットワークの存在が同胞の共通の財産である学校を助けることにつながると秦さんは語る。

 3月末の野遊会に初めて参加した30代同胞の姿も多かったのは青商会メンバーが毎週1回、彼らを訪ね歩いたからだ。

 「赤の他人が顔を見ればもう知り合い。学校や家庭、いずれは地域のことを話し合える」と成昌浩副会長は手応えを語る。

 「僕らがイメージする同胞社会は丸いテーブルに座って食事をする家族」(高会長)

 青商会メンバーは共通して語る。地域社会の活性化は、誰かがやってくれるのではなく、「自分から始める」ことだと。

[朝鮮新報 2003.4.18]