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「外人」と「外国人」

 「『外人』と『外国人』の違いがそのまま今回の受験資格問題に表れているね」とは、知り合いのアメリカ人言語学者の言葉だ。日本人はいわゆる「外国人」を表現する際、前者を欧米系、後者をアジア系とし、2通りの言い方で厳然と区別しており、言語にまで染み付いた日本人の差別意識がよく表れた問題だと、彼は述べていた。

 欧米系外国人学校の卒業生に限り、今年4月から大学受験資格を与えるとの文部科学省の発表から1カ月余り。在日同胞はもちろん、国立大学教授らをはじめとする多くの日本市民から「民族差別だ」との猛反発を招き、異例の「再検討」を余儀なくされた。この間同胞、日本市民が全国から差別是正の要請のために文部科学省を訪れた件数は、35件(総聯中央教育局調べ)におよぶ。

 各地では緊急集会、公開授業など、さまざまな対策もとられた。愛知のある同胞は、「地域の全同胞が民族教育権のために一丸となって立ち上がった。近年、あれだけの盛り上がりを見せた同胞集会があっただろうか」と興奮した口調で語っていた。

 「再検討」はひとえにこのような運動がもたらした結果といえるが、まだまだ予断は許されない、というのが取材を通しての実感だ。再検討を表明する記者会見の席上で「他の評価機関に頼らず、文科省が朝鮮学校を訪問するなどして直接評価してはどうか」との問いに、同省側は「(文科省が)直接評価するのはどうかという意見も(省内には)ある」と答えたが、そもそも1965年に「(学校として一番最低のランクである)各種学校としても認めない」と「評価した」のは彼らではなかったか。「(英米の評価機関を基準とするとした)当初案については、1つの合理的方法と考えている」と述べる彼らを前に、前述の言語学者の指摘が脳裏をかすめる。「これからがスタートだ」と気持ちを引き締めた。(花)

[朝鮮新報 2003.4.14]