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在日本朝鮮留学生同盟−不当な民族差別に反対する決起集会開く

 外国人学校の受験資格問題と関連し、留学同では7日、不当な民族差別に抗議し反対する全国規模の決起集会を行った。集会では、文部科学省に対し留学同中央常任委員会抗議文の発表と、その後に今回の問題に対して学生たちの決意表明がなされた。

被害者増やしたくない

 幼い頃から科学者になりたいという素朴な夢を抱き、こつこつと勉強を重ねてきた。自分の夢を実現しようと考えた時、わが家の経済状況からして学費の安い国立大学に入るしか選択肢はなかった。

 このような現状のなかで私にとって大きな障害となったのは、朝鮮学校出身者の国立大学受験資格問題だった。朝鮮学校出身者が日本の国立大学を受験するためには、大学入学資格検定(大検)が必要だ。私が東京朝高に通っていた当時は朝鮮学校には大検受験資格すら与えられていなかった。そのため私は仕方なく朝高入学と同時に都立上野高等学校(通信制)に入学した。毎週日曜日には必ず高校に通わなければならなかったため、学校生活を楽しむ暇もなく、休みの日に試合が多いクラブ活動にも十分に参加できなかった。何より勉強の面で2重の負担を強いられた。

 このような負担のなかで大学に入学した私の実体験を通して言えることは、朝鮮学校の授業内容とその水準は、日本学校に比べて何のそん色もないということだ。朝鮮学校の方がよりわかりやすく質の高い授業を行っている。それはこのような負担のなかでも日本の有名大学に入学する朝鮮学校出身者が多く、専門知識を武器に世界中で活躍していることが示している。

 大学入学後に出会った日本人学生や教授は、朝鮮学校の存在はもちろん、在日朝鮮人の存在すら知らなかった。受験資格がないなど私たちの置かれた状況を知っても、関心がなかった。このような日本人とのどうしようもない距離感にもどかしさを感じていた私は、今回の文部科学省が打ち出した新しい民族差別問題について怒りを禁じえない。明治時代の「脱亜入欧」思想を思い起こさせる時代錯誤的な方針だ。日本社会の国際化を図るうえで、朝鮮人をはじめとするアジア人はいらないということか。日本の植民地時代の被害者として日本に渡らざるをえなかった在日同胞の歴史的経緯を考える時、日本政府は私たちに民族教育に対する権利を保証し、助ける歴史的、法的、道義的義務がある。私のような被害者をもうこれ以上増やしたくない。(金光一、東京農工大1年)

重大な差別、いっそう露骨化

 現在朝鮮学校は正式な学校として認められず、運営面をはじめとても困難な状況に置かれている。しかし朝鮮学校が存在しなければ、4世、5世がどこで母国語を学び、朝鮮人としての誇りと自負心を育てることができるだろうか。

 昨年の9.17以降、相次ぐ朝鮮と総聯に対する狂乱的な偏向報道によって、チマ・チョゴリ事件など在日同胞に対する重大な民族差別はいっそう露骨化され、過去の清算問題や在日同胞の民族権利に関する問題はどこかに忘れ去られてしまっている。

 京都大学支部では受験資格問題を解決させる運動で先鋒的役割を担ってきた。94年12月に「民族学校出身者の京都大学への受験資格を要求する連絡協議会」(民受連)を結成。95年にはスイス・ジュネーブで行われた国連人権委員会に代表を送り、差別の現状と是正を訴えた。また署名運動や大学当局との団体交渉など、問題解決のための活動を幅広く展開してきた。

 活動の結果、98年に京大大学院理学研究科が朝鮮大学校出身者の受験資格を認めた。翌年の99年には朝高出身者に対する大学入学資格検定の受験資格が認定されている。しかしすべての大学における受験資格自体の認定というこの問題の根本的な解決までには至っておらず、国立大学入学を希望する朝高出身者の負担はいまだ重い。

 このような文部科学省の新たな民族差別政策と向かい合うべく、私たち京大支部では学校内や街頭での署名運動やデモ行進、そして大学当局に対する差別撤廃のための要望書を提出するなど、運動を積極的に展開し、世論喚起に務めたい。また良心的な日本の人々、大学教授や弁護士、日本人学生たちと連携を深めながら運動を広範に繰り広げていきたい。

 とくに昨年結成された「日朝友好京都学生の会」に参加している日本人学生たちとの連携を深めながら、民族教育権利獲得のための活動を先頭に立っていきたい。(李洪章、京都工繊大2年)

断固として闘い抜く

 今回の措置は公正、公平性に欠けるものであり教育とは本来、平等にチャンスが与えられるべきである。

 朝鮮人学校や中華学校などの民族学校は民族的な授業を行っているが、基本的には日本の高校のカリキュラムを充分に参考にして教育を行っている。しかも高校卒業と同等の学力を有することが大学受験資格であるならば、国立大学入試のほとんどがセンター試験と二次試験合計点で合否を判断する形式をとっている以上、その合計点に達していれば高校卒業と同等の学力を有していることは明らかになる。それにもかかわらず、民族学校には入学資格を与えずインターナショナルスクールだから与えるというのは不当な差別だとしかいいようがない。

 とくに日本各地にある外国人学校のうちアジア系、中でも朝鮮学校が高い比率を占めていることを考えればこの内容は、文部科学省および日本政府によるアジアの人々、とくに在日朝鮮人に対する露骨で新たな差別政策、人権侵害であり、決して容認できるものではない。

 民族教育という基本的人権に背を向け続けてきた文部科学省および日本政府は、今回「差別の是正」の方向ではなく、さらなる「差別の上塗り」の道を歩もうとしている。今回の問題は、今まで長きにわたり運動を繰り広げ、多くの学生がチャンスすら与えられず悔しい思いをしてきた私たちに対する挑戦だといえる。

 この問題が直に経験してきたことである以上、今こそ当事者である私たち学生が運動の最前線に立つべきだ。次世代を担う若い力をひとつにして奮い立ち、断固として闘い抜かねばならない。私を含めた留学同の学生、そしてすべての在日同胞学生が力を合わせて闘い、必ず民族差別政策に打ち勝ちたい。(河賢優、神戸学院大3年)

当事者が声上げるべき

 94年に結成された民受連の代表として、理解ある日本人学生とともに受験資格問題に取り組んできた。

 昨年は京大内でも動きがあった。9月には大学総長の諮問機関である「同和人権問題委員会」から「民族学校出身者の受験資格に関する最終報告」というものが出され、民族学校出身者にも受験資格を認めるべきだということを@歴史的責任論の観点A人権論の観点B教育の国際化論の観点―からそれぞれ書いている(京都大学ホームページ「京大広報」別冊参照)。これにより京大内で討議をして受験資格を認める方向に向かっていたが、今回の文部科学省の発表により進展にブレーキがかかってしまうかもしれない。

 しかし京大は朝鮮学校出身者に対する大学院への受験資格を独自で認めたことがあり、それに続いてほかの大学が認めたように、今回もそのような可能性はないとは言えないだろう。

 ポイントは、この問題のあからさまな差別性に矛盾や不満を感じている人がわれわれ在日朝鮮人だけではないということだ。欧米系のインターナショナルスクールにだけ資格を認めるという今回の方針は、中華、韓国学校などアジア系の外国人学校も対象にされておらず、アジア全体に対する差別だといえる。彼らとともに力を合わせて闘っていくことが大切だ。このように差別があからさまになった今だからこそ、当事者である私たち自身が声を上げるべきだ。(李度潤、京大工学部3年)

支部委員長のつぶやき

[朝鮮新報 2003.3.17]