top_rogo.gif (16396 bytes)

各地の同胞が語る「私とサークル」−中信地域オモニバレーボール部(長野)

 1999年1月に結成された、本バレーボール部。長野初中付属幼稚班に子どもを通わせるオモニたちの間で「何かしたいね」と声が上がったのが始まりだった。他県から嫁いで来たオモニたちも多く、当時は若いオモニたちが中心となっていた部も、現在は40代、30代、20代と、幅広い年齢層に支えられている。

同胞との触れ合い

 友人に誘われて地元朝鮮学校の運動会を見学に出かけた際、知り合いから「バレーボール部に入らない?」と誘われた。地方から長野に嫁いで数年。子供も幼く、地域同胞社会との触れ合いが少なかった私は、その場で入部を決心した。しかし、いざ初めての練習の日が近づいてみると、「ほとんど知り合いのいない中でうまくやっていけるだろうか。しかもバレーボールの経験さえない初心者が入ったらみんなの足手まといになるのではないだろうか」という不安がどんどん大きくなっていった。

 そんな気持ちを抑えながら迎えた練習初日。練習場となっている長野初中の体育館で大勢のオンニ(お姉さん)やコーチたちの温かい歓迎を受けた瞬間、そんな不安は一瞬のうちに消え去ってしまった。

 なかでも一番うれしかったのは、みんなが私のことを「ファヨン」と本名で呼んでくれたことだった。嫁いでから本名で呼ばれることなどほとんどなかった私は、その親しみのこもった響きに、家庭以外で初めて自分の居場所を見つけたような気持ちになった。以来、誰でも集まれ、何でも話し合える場として、私の中でバレーボール部はなくてはならないものになっていった。

家族に支えられ

 練習はママさんバレーのチームと合同で行われることもある。同じスポーツを志す日本人女性との交流は、彼女たちの同胞社会、民族教育への理解にも一役買っている。

 ママさんバレーのメンバーとも共通する問題だが、練習を続けていくためにはやはり家族の理解が不可欠だ。練習日には気持ちよく「がんばってこい」と送り出してくれる夫やシアボジ、シオモニのためにも、「やるからには、決して家事をはじめとする主婦としての本業をおろそかにしないこと」を心に誓った。

 それだけではなく、部活でのさまざまな出来事や試合の予定などを意識的に家庭で話してきたことが家族の関心、理解が進んだ秘訣だと思っている。試合の際、家族が応援に来てくれた時には、少し照れくさかったが本当にうれしかった。

 継続できた理由はほかにもある。まったくの初心者であった私に一からバレーを教えてくれたコーチや一緒にがんばろうと励まし続けてくれたオンニたち…。何度もくじけそうな私がここまで来れたのはそのような周囲の励ましがあったからにほかならない。

 こんなにもたくさんの人々に支えられながら、バレーボールを続けることができて、私は本当に幸せだ。これからもいっそう練習に励み、全国優勝という頂点を目指して一致団結していきたい。

[朝鮮新報 2003.2.27]