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〈心の目〉−あの頃のように…

 1月12日、兵庫の朝青の成人式が神戸市内で行われ、次男の鐘功も参加した。昨年暮れに朝青本部から案内状が送られてきたが、「ムリムリ」と思い無視していた。

 鐘功は生後1カ月目に風邪にかかった時、病院の薬が原因で呼吸が止まり、脳に酸素が送られず障害を抱えることになったからだ。

 成人式の3日前、朝青本部副委員長から改めて電話があった。鐘功が幼稚班から初級部5年まで通った姫路朝鮮初級学校(西播初中に統合)の同級生が「一緒に成人式をしたい」という。心動かされ、参加させることにした。

 パリッとしたスーツ姿で出かけた鐘功。当日は同級生で朝青姫路支部の総務部長が迎えにきてくれた。式では同級生たちが昔のように鐘功を囲んでは食事やトイレの面倒を見てくれたという。鐘功はとても嬉しそうで、料理もたくさん食べたそうだ。

 私もどんな顔をしていたのか見たかった。帰ってきた鐘功を見た時、久しぶりにみんなに会えて楽しい時間を過ごしてきたのがよくわかった。

 日本の養護学校に転校して9年もたつのに、鐘功のことを忘れずにいてくれたトンム(友達)たちの気持ちが嬉しくて、ありがたくて涙が出てきた。日本の学校へ行っても鐘功は朝鮮の青年だと…。

 8年前。鐘功がそのまま通っていたら参加していたであろう姫路初級の卒業式にもよんでもらったことがある。

 クラスメートに贈る小さな花束を携えて校門をくぐるや、卒業生が座るイスに鐘功の分も含まれていて驚いた。芸術公演では、舞台に上がりクラスメートと手を取り合って歌を歌った。同級生、鐘功、教職員、保護者…。みんな泣いていた。「鐘功がいたから人を思いやるやさしい子になれた」−。ある保護者がかけてくれた言葉に、「足手まといになっていた」との心配が消え、肩の力が抜けた。

 鐘功が転校した後も妹が通っていたので、オモニ会の給食当番でよく学校に出入りした。その時には必ず鐘功を連れて行った。嬉しかったのは、鐘功の後輩たちまでもが「ヒョンニム(朝鮮語でお兄さん)一緒に食べよう」と必ず声をかけてくれたこと。クラスメートだけでなく、学校全体で彼を見守ってくれていたのだ。

 鐘功の就学が差し迫った頃、私たち夫婦は学校のことで頭がいっぱいだった。しかし、故・朴慶雲校長は親身になって、一緒に学校を見て回ってくれた。日本の養護学校を2校見学し、3校目へと向かう途中。校長先生は「日本の学校には送れない。ウリハッキョで面倒を見ます」と告げてくれた。鐘功が大好きだった自転車がパンクするたび、修理してくれた朴先生。感謝の気持ちがこみ上げてくる。

 鐘功は3年前に養護学校を卒業したあと、姫路市内の作業所に通い、働く喜び、人と触れ合う喜びを日々感じている。

 鐘功が転校する時、お別れ会を兼ねてクラス全員で京都に旅行へ行った。担任だった千守哲先生は、鐘功がトンムたちと触れ合う姿をビデオテープに撮り、とっておきのサウンドトラックをつけてプレゼントしてくれた。わが家の宝ものだ。(李久美、兵庫ムジゲ会会長、姫路市在住)

[朝鮮新報 2003.2.11]